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死・マンガ表現・ツイッター

コロンバス旅行記16:音声通話編

朝起きたら友達たちがディスコードでモンストをやっているようだったのでスマホから参加。2週間くらいしか経ってないけど声を聴いたらなんだかすごく懐かしくなってしまった。別に早く帰りたいとは思わないしなんならもう一ヶ月くらい調査したいけど、それはそれとして帰ったら飲み会がしたい。

イベント会場になっている関係でリーディングルームは使用不可。貴重資料書庫などライブラリの非公開エリアが見れるツアーがあって、参加する予定だったのだが朝イチで予約が全部埋まっていたとスタッフの皆が教えてくれた。残念。昼くらいになるとどんどん人が増えてきて、誰か知らないけど地位のありそうな人々がたくさんいた。

イベント参加者に開かれた原画展示室になっていて、リトルニモの原画を見ることができた。色指定が全くない。初期コミックスでは着色作業は専門の印刷工が行うので、アーティストは青鉛筆でここは何色にするとかメモをしたり、部分的に水彩で塗ることで指示をする。アウトコールトみたいに印刷工に丸投げしていた人もいるようだ。マッケイはシカゴだかシンシナティだかで印刷工見習いをやっていたこともあって(というかオッパー然り初期のアーティストはしばしば印刷職人のスキルを持っているのだが)『ヘラルド』でニモを描いているときは自分でカラー印刷をしていたと言われているが、原画に何の指示もないということは本当に自分で印刷室に行って職人と一緒に作業していたということだろうか。オッパーはたしか原画に水彩と青鉛筆で指示していたと思う。あと、色なしの線画だけの状態で原画を見ると、ディテールの細線がけっこうヘロヘロしてるというか、下書きなしのフリーハンドっぽく見える。デトロイトで似顔絵描きをしていたころからフリーハンドで描き続けていたようだが、ニモのレベルでやるのはちょっと異常だ。

図書館でちょっと勉強してこうと思ったら図書館前の芝生で黒いシャツを着たキリスト教団体がいて、「お前の人生の目的は何だ」とか何とか演説をぶっていた。数日前同じ場所で堕胎擁護のイベントがあり、そのままダウンタウンを行進して最終的に結構な規模になっていたらしいが、おそらくそれを受けてのことだろう。図書館から出たら案の定レインボーフラッグを持った人々が黒シャツグループとにらみ合っており、互いの代表者らしき人々が話し合っていた。民主主義が行われていて羨ましくなった。それはそれとして"I ♡ BOOBS"と書かれたプラカードを持って黒シャツの周囲を飛び回っている女性がいてちょっと面白かった。

ライブラリに戻ってシュルツについてのシンポジウムを聴こうと思ったのだが、これも気づいたら満員だったので断念。もうなんかいいかなと思い帰宅することにする。ふじの君がスペースで話していたのでお邪魔する。再び安心する。今日は何故か音声通話したくなる日だったけど、やっぱり寂しく感じているってことなのかなぁ。

スーパーでずっと気になっていたジャックダニエル豚肉を買ってみる。ジャックダニエルというのはウイスキージャックダニエルだ。日本でもアメリカ料理屋に行くとたまにメニューに乗ってるが、ジャックダニエルウイスキーを使った肉料理ソースも有名らしく、アメリカではそのソースを使ったチルドの味付き肉が売っている。日本のジンギスカン用肉みたいなものだ(これもローカルらしいけど)。パッケージには肉をバンズに挟んでいる写真が載っているので、素直に従ってホットドッグの余りのパンに挟んで食べる。かなりウマい!いくつか日本に持って帰ろうかな。一緒に買ったドリトスのフレイミングホット味もいい感じに辛くて美味い。イギリスではこれを衣にして酢飯おにぎりを揚げるのが流行ってるって何かで読んだけどほんまかいな。

マルちゃんのカップ麺を見つけたので試しに食べてみるが、辛ラーメンと同じでどうにも味が薄い気がする。日米で味付けが違うのか、しかしアメリカの方が味が薄いとは……?と思ってググってみたところ、硬水でインスタント麺を作ると塩気が薄くなるらしい。オハイオアメリカの中でもかなり水が硬いので、そういうことなんだろう。

コロンバス旅行記15:チポトレでbowlを頼むときballと聞き取られてないか毎回心配編

1900年のあいだに出たNew York Journalの日曜付録を全部読んだ。ハッピーフーリガンは3月に連載開始している。OCUのデータベースには何故か1900年1月に出たハッピーフーリガンが所蔵されているとあるが確認したところミスであった。この作品は1903年頃には既に人気になって1930年まで連載するので想像しにくいが、当初は全然人気が出なかったとオッパーは述懐している。1900年の紙面を見てみると、同年の後半には載っていることのほうが少ない。1ヶ月くらい描かない時期が続いて、復帰してくるとハッピーの性格がちょっと善人寄りに変わったり、フキダシで喋るようになったりしていて、テコ入れ的なことをしていたのが伺える。

というかこの時期のオッパーはむしろ日曜付録の中では面白くない組というか、スウィナートンやダークスといった当時20代前半くらいの若手たちのキレッキレな作品に比べると古臭く見える。特にスウィナートンは本当に面白い。運動の描写の面白さで突っ切っていく感じだ。オッパーはアイルランド移民家政婦とか酒好きドイツ移民親父とかのステレオタイプを好んで使っていて、ハッピーもそのボキャブラリーの一つだったわけだが、雑誌を引きずっていて鈍くさい印象を受ける。スウィナートンは見た感じステレオタイプに興味がない。運動で勝負しているから、使うキャラも子犬など飛び回らせやすいものに偏る。単純にニューヨークに来る前にサンフランシスコでかわいい動物のキャラクターでウケていたので動物が求められたというのもあるだおるけど。

オッパー当時43歳で既に雑誌でのキャリアも長かったわけで、むしろこのあと新聞コミックスの文法を身に着けて看板作家になっていったぶん若手よりすごいとも言える。同年代のアウトコールトが最後まで説教臭さが抜けきらなかったのと比べてみるのも良い。スウィナートンの作品の中にはのちのハッピーフーリガンのパターンによく似た作品も散見されて、たぶんオッパーは若手の作品を参考にして自己改造していったのだろうなというのが察せられて大変おもしろい。雑誌時代の古層と新聞時代の表層とが重なり合っているのがオッパーの面白いところだ。

ずっとチポトレを食べている。一食10ドルくらいで、日本のクレカで払うと1500円くらいになっちゃうのであまり連発できないが、なんかもうとにかく美味い。野菜も摂れるし。日本にチポトレがないの悲しすぎる。なんか似た店はあるらしいけど、日本だったら絶対あの量は出してくれないだろう。OSU前には他にもいくつかテクスメクス屋があるが、めんどいのでチポトレ以外は手を出していない。

いまさら気づいたのだが、落ち着いて見てみると大学前のマクドナルドは荒廃している。自動注文機があるのに、それを使うのに必要なテーブルテントが永遠に補充されない。この前行ったらメニューを表示する液晶パネルが新たに壊れていた。新たにというのはもともと一つ壊れていたのだ。店の前には常に曖昧なおっさんがたむろしている。二階席はなぜか封鎖されている。そういえば、他の店の従業員は白人や大学生っぽい人が多いがマクドナルドは地元の人らしき黒人がほとんどだ。ぱっと見格差の表現っぽく見えるがマクドナルドとチポトレでそんなに給料違うのだろうか?ともかく、コンボの番号言えば注文できて気楽だったので何度か行ってたけど液晶壊れて番号わからなくなったし行きにくくなった。

コロンバス旅行記14:英語できない編

英語できない〜。なんというか、言語というのは単語とか文法とかのことではなくあくまでパロールが本体という気がする。単語とその意味を知っていたとしても、それが具体的に使われている現場の記憶というかクオリアみたいなものを蓄積していないと実際の会話の場面で出てこない。厳密には相手にめちゃくちゃ待ってもらえれば出てくるのかもしれないけど、音声会話というのはテキストとは全く違う早いテンポで動く。声の文字起こしがしばしば文字だけ見ていると言葉足らずに見える(にもかかわらず実際の現場では問題ない)のは、音声会話とは相手の言ったことそれ自体というより、お互いの声がお互いのうちでニュアンスみたいなものを呼び出していることを含み込んで行われるからなのではないかと思う。言語とは共同体との関係で初めて考えられるものなのだと思う。言語学や会話については全く素人なので超適当に言っているけど。ざっくり何が言いたいかというと、「クール」という言葉を知っていてもそれはカッコいいと思ったときにいつでも言っていいわけではなくて、「クール」が適切であるような場面について知っておく必要があるということ。俺はそれをよく知らない。

書いてたら外から銃声らしき音が連続して聞こえてきて、パトカーの音が続いた。怖いって。こっちに来てからコロンバスで起こった銃撃のニュースは毎日のように目にしているが、夜にクラブで撃たれているものが多い印象がある。たまたまかもしれないけど。それぞれの状況は知らんが明らかに酒が絡んでいる。前に行ったピンボールバーの入り口にもNO WEAPONの表記があった。憲法のこともあるが銃規制が進まないのは理解しがたい。憲法もまた国の古い記憶みたいなものだとしたら、これも言語と似た問題なのかもしれない。

「ハッピー・フーリガン」を連載開始から順番に読んでいく。最初期のハッピーは全くステレオタイプ的なアイルランド労働者で、酒が好きで労働が嫌い。ここから数年すると禁酒運動家みたいなことを言い出したり毎日仕事を探したりするようになる。「ハッピー・フーリガン」というのは連載開始時の彼を想定した名前であり、人の酒や食べ物を勝手にいただいて幸せになってる浮浪者ということだ。つまり連載時期のほとんどにおいて彼の有様は彼の名前から乖離している。乖離して初めてハッピー・フーリガンはお金持ち子ちゃんみたいな符丁としての名前ではなく、(字面はどうあれ)固有名になるのだ。乖離が可能になるのは連載というフォーマットがあればこそに違いない。こういうふうにキャラクターが生成することもあるんですね。

CXCの開会記念行事として古いアニメーションの上映会があったので行ってみる。ディズニーのあまり知られてないやつとかフライシャーとかその他。他者の作品にミッキーが(たぶん無許可で)カメオ出演している例が結構あって驚く。あとベティー・ブープって初登場時はビンボの彼女役で犬耳がついてたんですね。知らなかった。我々の知っているベティーは大きなイヤリングをしているが、あれは元々は犬耳だったということらしい。

気づいたらこっち来てから2週間が過ぎていた。早い!そして多分調べたいことを全部やるには時間が足りない。ここからは巻いていったほうが良さそうだ。

コロンバス旅行記13:走る便器編

オッパーの作品の一番古い類の単行本というかアルバム?をまとめて読む。20世紀初頭の新聞連載をまとめた本のことどう呼んだらいいのかいまいちわからない。「コレクション」だと誤解を呼びそうだし……。1902年に出た作品群と1908年に出たのとがあって、古い方はハーストのところが出版社ということになっているが、新しい方はFrederick A. Stokeという出版者が表記されている。古い方は印刷の質がけっこうひどい。新聞ではもっと上質な印刷ができていたはずだが、まぁ新聞の輪転機をそのまま使っていたとは思えないし事情が違ったのかもしれない。8年の方はちゃんとしている。

改めて読むと新聞初期のオッパーは運動へのオブセッションがすごい。パターン化された話を繰り返した上でコンテンツ性を担保するには運動で勝負するしかないということだろうか。『アルフォンスとガストン』は礼儀作法によって運動が止まることで出会うべきものが出会わなかったり衝突すべきでないものが衝突したりする世界だ。『ハッピー・フーリガン』もそうだが、社会における人間の振るまいの物理現象としての側面をつかってスラップスティックするというのがテーマだったように思う。また、『彼女の名前はモード』みたいに毎週必ず起こる反復へのメタ言及的な話を延々続けるというのも最初期のアーティストとは思えないシラケっぷりで面白い。20年代の冒険ものよりずっとコンセプチュアルなのではないか。

日本関係資料のライブラリアンで教授でもあるデイヴィス先生がトンプソン図書館を案内してくれた。とにかくデカい。東アジア関連の棚を見たら社史関連の書籍がやたら充実していて驚いた。日本マンガの棚もあって、鬼滅のような人気作の他に『ごくせん』とか『やが君』とか面白いチョイスが揃っていた。更に別棟にスタックがあるらしい。最近できたというフィットネスバイクに乗りながら読書できるウェルビーイング・リーディングルームみたいな名前の読書室も見せてもらった。おもろいこと考えるなぁ。

前々から気になっていたことを聞いてみた。大学構内でたまに車輪のついた大便器みたいなのが走ってるのを見かけるんですが、アレってなんなんでしょう。食事を運ぶロボットらしい。便器の蓋をあけるとホットドッグとかが入っているのか。先生によると、今年始めくらいまでは今よりもっとたくさん走っていたのだが、ロシア企業がオペレーションしていたせいで件の戦争が起こった直後に全く姿を消したそうな。つい2週間前くらいに新しい企業の便器が導入されて走り始めたばかりだという。そんなグローバルな存在だったとは。昼時になると芝生をリスと走る便器が行き交う。なんだかオッパーっぽい状況な気もする。

図書館一階にある喫茶店で英語日本語交えながら日本のマンガ研究事情について話す。なんやかやあってデイヴィス先生の自宅で夕食でもどうですかと誘われてしまった。もちろん。緊張するけど。

コロンバス旅行記12:コレクター編

こっちでの生活にも慣れてきた。言い換えるといちいち驚くことが少なくなったのでここに書きたいこともなくなってきた。日記というのは不安を鎮めるための儀式みたいなもので、日常に埋没することができたらもう用済みなのかもしれない。

アウトコールトの伝記資料を進める。バスターブラウン関連グッズを集めていた人の個人的資料がたくさん出てくる。コレクターが生きていた当時のコレクション事情の話が多くて正直あまり興味はそそられない。あくまでアウトコールトのことが知りたいのだ。今回はあまり収穫なく終了。ブラウンの靴の広告が「当社の靴は男女両方にフィットしてお子様の健康的な足の成長を促します」みたいなこと書いてある割に背後のイラストは男女の性別役割をきっちり守っててこれじゃ女の子の運動能力いらないじゃんみたいになってたのはまぁ覚えておいても良いかなと思った。

わかっていたことだが食費がかさむ!たとえばチポトレは一食12ドルくらいで、今のドル円レートを鑑みるとちょっと厳しい。1ヶ月間だけだからいいのかもしれないが、別に金持ちでもない。そこら中に自販機とコンビニが有り、100円のジュースやコーヒーがいつても手に入る日本の便利さが実感される。牛丼400円とか狂気だ。帰国したら散財してしまうかもしれない。

なんかこうやって毎日日本語で考えて書いてるせいで英語が入ってこないのかなという気がしてきた。生活全部英語漬けにしたほうがええんちゃうやろか。

コロンバス旅行記11:1ドル編

コロンバスに来た一番の目的はもちろん調査だが、実は第二の目的がある。ピンボールをやることだ。去年くらいからちょっとずつ遊んでいるのだが、日本だと設置している場所が圧倒的に少ない。都内在住ならかなり恵まれた環境ではあるが、それでも高田馬場ミカドさんが頑張ってくれているのがせいぜいで(ふじみ野バイヨンは気軽に行ける距離ではない)、やっぱりアメリカのアーケードに行ってみたかった。グーグルによるとバスで10分くらいのところにゲームバーがあって、なんとそこにはPinbotがあるらしい。これはとよ田みのるFLIP-FLAP』で主人公カップルが二人プレイをしていた86年の傑作台で、なぜか単品でゲームボーイのソフトになっていたりする。かつては日本にもそれなりに台数があったらしいのだが今ではどこにあるのかわからない。ぜひともいかねばならない。

コロンバスのバスは何駅乗っても一律2ドルだ。紙幣を2枚一緒にいれたら運転手に「一度に一枚だよ」とたしなめられる。焦って苛ついてしまい"OK, OK, Thank you!"とややぶっきらぼうに言ってしまい直後に反省する。すぐに目的地に到着。

アメリカ全体がそうなのかは知らないがコロンバスで見つかるアーケードはほぼ全部がバーと合体していて、みんな酒を飲みながらプレイしている。アルコールが入った状態でピンボールができる自身は俺にはないが……。酒は頼まずに台を見回す。1プレイ1ドルで、クォーターを4枚いっきに投入する。とりあえず入口近くにあったSword of Furyをやってみたらリプレイ設定がかなり甘くなっていて、ランキングも毎日リセットになっているのかすぐに3位とかになり、クレジットが余りまくってしまう。消化を諦めて2クレジットほど放置。店内ではピンボールをしている人はほとんどおらず、客はボーリングに集中していた。店内を見回したがなんとPinbotは置いてなかった。81年のEight Ball Deluxeは動いてるのに……。しゃーないので他の台で遊ぶ。どれもメンテナンスちゃんとしててすごい。お台場とかで遊んでるとメンテナンスなんて期待するほうが間違いという感じだからなー。

店を出て1ドル紙幣を全部使ってしまったことに気づく。やばい。バス料金はどの紙幣を使っても釣りは出ない。今のドル円レートで10ドルを飲み込ませる度胸はない。仕方ないので1時間ほどの道のりを歩いて帰る。道が真っ直ぐなのでひたすら歩いていれば良い。そのへんでお金を崩せそうなところがあったら崩してバスに乗ればいいし……と思っていたが、どうやら歩いていた地域はイタリア人街で、高くておしゃれなイタリアンレストランばかりで崩すとかそういう感じではなかった。

ヘトヘトになって帰る。ホットドッグを作って食べたら夕方16時なのにめちゃくちゃ眠くなってしまい、気づけば夜に。UberEatsが夜中までに20ドル以上頼めば4割引きだとか通知してくる。適当にカートに入れてみるが、20ドルぴったりになるようにしても結局手数料やらチップやら追加されて最終的な額は20ドル以上になるようになっている。なんか馬鹿馬鹿しくなったのでコロナ飲んで寝ます。

コロンバス旅行記10:だらけ編

ライブラリ閉まってるし土曜日で街はごった返しているのでのんびりしていた。実際どんな感じでごった返しているのかちょっと見に行ったら本当にそこらじゅうでウォッチパーティをしており、街行く人も皆赤いユニフォームを着ていて、フットボールに興味ない人には厳しい街だなという感じ。なんかコロナビールを持ってる人が多かったので俺も6本セットを買ってみる。

帰ったらフィンが子どもと一緒にギター弾いて歌っていた。子どもいたんだね。マーサ・バンタの本を読むが記述が複雑すぎて萎える。多分言ってることを図式化したら結構単純なんじゃないかと思うが、入り組んだ構文とわざわざそんなの使わんでええやろという晦渋な語彙が読解を妨げる。やめてほしい。