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コロンバス旅行記30:責任編

調査できる最後の日。明日はフライト。備蓄食料を整理しつつ、今日明日の朝食にするためにドーナツを買い込む。枠付けられた時間の中にいるとテキパキ動けるものだ。日本にいるときの日常には終わりがないから、備蓄食料もまぁそのうち処理しよう……ってなって腐らせてしまう。終わりの意識がないと人はシャキッとできない。常にシャキッとすることが良いことなのかというのはまた別の問題だが。実際のところ人は枠の中でシャキッとする時間と枠のない世界でだらける時間とを往復するものなのだろう。

ヘラルドはコミック付録だけでなく子ども向けの読み物ページや投稿欄にも気になるところが多くてなかなか日付が進まない。1900年のあいだくらいまでは付録の中にコミックと子ども向けページに加えてお父さん向けのイイ話やお母さん向けの最新ファッション情報など家族全員で読むための構成になっていたのだが、翌年くらいから子ども向けに集中するようになる。詩やジョーク、絵などを投稿するページが盛り上がっており、投稿者はだいたい10歳前後の男の子であるようだ。フォクシー・グランパが大変に人気で、ファンレターが大量に届いていますと誇らしげな記事もあった。

あっという間に時間いっぱい。デイヴィス先生にお別れを言いたいのでお会いできませんかと伝えるとお子さんを連れて会いに来てくれた。ありがとう。ライブラリの皆さんにもお礼を言う。ぜひ調査結果をテキストにしてくださいと言われる。そう、俺は本当にめちゃくちゃお世話になったので、彼らに伝わるかたちで研究成果を出さなければならない。つまり英語で論文を発表しなければならない。ぶっちゃけ今まで英語で書くモチベーションなんてなかったが、具体的にお世話になった経験をすると負い目や責任が無視できなくなり、早く行動しなければならなくなる。逆に言えば、具体的なかたちで実在する人に対して責任を負わなければ人はなかなか行動しないものなのかもしれない。遠いところに滞在した人は必ず誰かの世話になるし、世話になると負い目が生まれ、帰ったあとに新しい行動をすることになる。そうした旅行を介しての責任の経済のようなものがあるのだと思う。とすると、搾取する人は移動しないということになるだろうか。

そういえば延期していたものがあった。KFCのグレービーをナメナメすることである。UberEatsで頼んだら殺人的なネイルをした姉ちゃんとその彼氏らしき兄ちゃんがカップルで車に乗って届けに来た。そんなことあるんだ。直接の配達員は姉ちゃんのほうらしく、まぁどうせ車なんだったら2人でやったほうがいろいろ安全かもしれない。グレービーはそこまで美味しくなかった。