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コロンバス旅行記14:英語できない編

英語できない〜。なんというか、言語というのは単語とか文法とかのことではなくあくまでパロールが本体という気がする。単語とその意味を知っていたとしても、それが具体的に使われている現場の記憶というかクオリアみたいなものを蓄積していないと実際の会話の場面で出てこない。厳密には相手にめちゃくちゃ待ってもらえれば出てくるのかもしれないけど、音声会話というのはテキストとは全く違う早いテンポで動く。声の文字起こしがしばしば文字だけ見ていると言葉足らずに見える(にもかかわらず実際の現場では問題ない)のは、音声会話とは相手の言ったことそれ自体というより、お互いの声がお互いのうちでニュアンスみたいなものを呼び出していることを含み込んで行われるからなのではないかと思う。言語とは共同体との関係で初めて考えられるものなのだと思う。言語学や会話については全く素人なので超適当に言っているけど。ざっくり何が言いたいかというと、「クール」という言葉を知っていてもそれはカッコいいと思ったときにいつでも言っていいわけではなくて、「クール」が適切であるような場面について知っておく必要があるということ。俺はそれをよく知らない。

書いてたら外から銃声らしき音が連続して聞こえてきて、パトカーの音が続いた。怖いって。こっちに来てからコロンバスで起こった銃撃のニュースは毎日のように目にしているが、夜にクラブで撃たれているものが多い印象がある。たまたまかもしれないけど。それぞれの状況は知らんが明らかに酒が絡んでいる。前に行ったピンボールバーの入り口にもNO WEAPONの表記があった。憲法のこともあるが銃規制が進まないのは理解しがたい。憲法もまた国の古い記憶みたいなものだとしたら、これも言語と似た問題なのかもしれない。

「ハッピー・フーリガン」を連載開始から順番に読んでいく。最初期のハッピーは全くステレオタイプ的なアイルランド労働者で、酒が好きで労働が嫌い。ここから数年すると禁酒運動家みたいなことを言い出したり毎日仕事を探したりするようになる。「ハッピー・フーリガン」というのは連載開始時の彼を想定した名前であり、人の酒や食べ物を勝手にいただいて幸せになってる浮浪者ということだ。つまり連載時期のほとんどにおいて彼の有様は彼の名前から乖離している。乖離して初めてハッピー・フーリガンはお金持ち子ちゃんみたいな符丁としての名前ではなく、(字面はどうあれ)固有名になるのだ。乖離が可能になるのは連載というフォーマットがあればこそに違いない。こういうふうにキャラクターが生成することもあるんですね。

CXCの開会記念行事として古いアニメーションの上映会があったので行ってみる。ディズニーのあまり知られてないやつとかフライシャーとかその他。他者の作品にミッキーが(たぶん無許可で)カメオ出演している例が結構あって驚く。あとベティー・ブープって初登場時はビンボの彼女役で犬耳がついてたんですね。知らなかった。我々の知っているベティーは大きなイヤリングをしているが、あれは元々は犬耳だったということらしい。

気づいたらこっち来てから2週間が過ぎていた。早い!そして多分調べたいことを全部やるには時間が足りない。ここからは巻いていったほうが良さそうだ。