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コロンバス旅行記22:時間ねー編

滞在期間はあと1週間しかない!これから読む資料は慎重に決めなければならない。今週はCXCやらなんやらで実はあんまりリーディングルームに入れてなかった。いま1903年あたりを読んでいて、博論のことを考えると『リトルニモ』全盛期の1908年くらいまで行っておきたいが、今回の滞在ではそこまで行けないだろう。それに19世紀の間の紙面も、デジタルアーカイブになっていない分を読んでおきたい。これまで日曜版は全ページめくってきたし、そのお陰でかなり詳細に事情がわかってきたが、これからは一定時期から適当なページをピックアップしながら読むことになる。残念だが。少なくとももう一回はコロンバスに再訪しなければならないだろう。

1903年初頭の紙面で、顔のアップ(正確にはバストショット?)を使っているスウィナートンの作品を発見。この頃の作品はほぼ全てのコマでカメラサイズが変わらない。擬似的カメラを使ういわゆる映画的手法のようなものが一般化するのはおそらく1930年代以降だが、局所的には02年の段階でもバストショットが現れていたことがわかった。スウィナートンの資料もできるだけ読んでおかねばなるまい。圧倒的に時間が足りない。

1902年のハースト紙はキャラクタープロモーションの実験をいろいろ行っていたように見える。引き抜いてきたフォクシー・グランパの導入をイベント化したり、新キャラが登場する作品は表表紙に配置したりしている。だが皮肉にも、実際に生き残っていったキャラはそうしたプロモーションとあまり関係なかったものが多かった。例えばカッツェンジャマー・キッズでのちのちレギュラーになる黒ひげのキャプテンは、そもそもはハイネおじさんという新キャラの同僚みたいな感じで登場していた。ハイネおじさんの初登場は4色刷りの大ページでフィーチャーされていたが、キャプテンは(新聞にもよるが)2色刷りの半ページのエピソードでそれとなく初登場していた。アルフォンスとガストンの友人レオンも2色刷り半ページで目立たない初登場をしていたが、後にレギュラーにすることにしたのか4色刷りページで改めて導入エピソードを描いている。ノアの方舟を描くスウィナートンの1901年からのシリーズも、02年になるとノアが完全に脇役になり、もともと画面の端の方にいた山猫がいつの間にか主役と化している(なんとなくイエロー・キッドの経緯と似ている気がする)。このように気合い入れてないキャラクターの方がなんとなく軌道に乗ってしまった例が1902年ではよく見られる。しっかりプロモーションした上で生き残っているキャラクターはハッピー・フーリガンの兄弟グルーミー・ガスくらいなもんではないだろうか。

日本の友達と通話。昼食を終えたところだったので「こんちわ」と言ったら驚かれた。日本は深夜だった。とりとめのない話をする。通話した人全員に「帰ったら飲みましょう」と言っている気がする。