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コロンバス旅行記19:帰りたくなくなってきた編

ひたすら日曜付録読む。「ハッピー・フーリガン」がしっかり軌道に乗った作品になるのはだいたい1901年秋くらいで、翌年からはオッパーが運動を描くのに慣れて一気に画面が変わる。作品レパートリーもアイルランド家政婦ものとかをやめて「アルフォンスとガストン」や「モード」のような運動ドリブンなものに切り替えていき、19世紀のノリが見られるのはOur Antebellum Ancestors くらいになっていき、それすら20世紀ぽくなっていく。1年半くらいのあいだにオッパーが大変に勉強して考えたであろうことが伝わってくる。

しかし気づけばコロンバスに来てからもう3週間ほど経とうとしている。色々大変なこともあるけど、ここは居心地がいい。でもそれはなぜかというとバイトに行かなくていいからだ。バイトのある生活に戻りたくない。本当に嫌だ。こっちに来てから毎日めちゃくちゃ調子がいいが、それは一つには夜勤バイトがないことと、もう一つはバイト先の社員が全員ではないがマジで心底大嫌いだからだ。離れてみて気づいたが社員に毎回数分だけでも会うことでかなり精神を削られていた。それでも働いていたのは仕事が楽で給与も多かったからだ。今回の旅行に際しても1ヶ月休ませてくれている。いや休ませてくれるとかではなく休む権利はバイトにだってあるしなんなら休みの半分くらいは有給使っているし弁護士も挟んで牽制しているのだけど。オハイオ州立大学の周りはリベラルな雰囲気が漂い、俺はひたすら自分の研究をすることができて、日本における自分のバイト先には日常会話の一環として外国人やホームレスへのヘイトを口にする連中が上司として今も存在しているということを忘れさせる魔の山だ。俺はこれまで金と引き換えに大事なものを投げ捨てていたのかもしれない。そんなことを考えるとなんだか鬱な気持ちになってしまい、今日はリーディングルームが閉まってからは部屋でじっとしていた。