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死ぬの怖い(3)―寝るのって怖くないですか

死の話3です。

 

寝る方法

僕の記憶は5歳の誕生日を迎える辺りから始まるんですが、その頃は夜になると両親と僕とで川の字になって寝ていた記憶があります。ある日、僕は自分がそれまでどうやって寝ていたのかを忘れていることに気づきました。睡眠とは……?人間は能動的に寝ることができず、歩くとか手を動かすとかとは違って「俺の体、寝ろ!」という命令を下すことができません。にも関わらず4歳までの僕はなんの苦労もなく寝ていたわけですが、5歳を目前にしたある日、寝る方法を忘れてしまいました。隣で寝ている両親に「眠れない」と訴えても、「目をつむっていればそのうち眠れるよ」などと返されるばかりで、俺が知りたいのはそんなおまじないめいた心得じゃなくて具体的方法なんだよチクショウとと思った記憶があります。しかも両親は僕の心労も知らずにいとも簡単に眠りに就いている様子が伺われ、人間は不平等だという意識もあったような気がします。この時の夜が僕の一番古い記憶です。

そんな最初の夜から今まで、僕はついぞ寝る方法を知らないまま、夜になるたびになんとなく床について、いろいろ考え事をしているうちに気づいたら朝になっている、という生活を続けてきました。私の身体が一日一回、必ず私の意思を完全に離れて、しかも意識の方も完全にシャットダウンする、そんなことを死ぬまでのほぼ毎日において繰り返さなくてはならない、ということが自明な判断として私に与えられる訳ですが、これはとんでもないことです。週一とか月一ではなく毎日、しかも生命活動に欠かせない要素として、一日一回必ず意識を断たなくてはならない!相当怖いことだと思うんですが、このことを話して共感してくれた人は僕の人生で出会う中では一人もおらず、「お前疲れてるんだよ」という反応を返してくれる人が8割です。でも疲れを取るには寝なきゃいけないわけであって、この世は地獄か?

ちなみに残りの2割はただ微笑み返してくれます。

 

 睡眠は死の予行演習では?

これが何故死の話なのかというと、意識している状態から意識ゼロの状態に移行するというのは、我々が死ぬ時も似たようなことが起こると予想されるので、睡眠というのは一種の死の疑似体験というか、予行演習のようなものとして捉えられるのではないかと思うのです。無論、睡眠は何か事情がない限り、意識途絶の瞬間の後にほぼ確実に目覚めることが保証されている(それだって我々が全知でない限り100%の完全な保証ではないのですが)ので、完全なる電源オフからその後無限の時間に渡って意識ゼロ状態になる死とは違うわけですが、少なくとも我々が今際の際に自我を手放す瞬間というのはこんな感じなのかな、という、寝入り端ならぬ死に入り端みたいなものを想像する材料を我々に与えてくれます。

とはいえ、本当に意識が途絶える瞬間というのは我々には知覚できないので、せいぜい「あ〜俺今意識が薄れつつあるわ」的なことを感じることができるに留まるわけですが、生きている状態から死んでいる状態に移行する際もおそらく似たような感じなのではないかと思うので、寝入る瞬間を我々が恐れないように、死ぬ瞬間というのも我々にとっては恐れるべきものでないのだろうと考えられます。

では何が怖いかというと、「意識がとりあえず朦朧としつつも残っているものの、これからせいぜい数時間以内のごく近い未来に自分の意識は途絶えるらしい」という状態が怖いわけです(僕は床についてから完全に睡眠状態に入るまで1〜3時間ほどかかります)。これは死刑執行を待つソクラテスのような心情であり、僕の意志に関係なく、僕の体の、僕の魂?精神?みたいなものとは関係のない物質的な部分が、これから否応なしに僕の意識、いま寝床から天井を見上げたり寝返りをうって壁を見つめたり、外から聞こえてくる車の音を聞いている、あらゆる経験とそれを可能にするものの総合として存在している「僕」を、一時的とはいえ消し去る!やばい!

我々は普段自分の肉体や精神を己の意思によって操作していると考えていますが、一方で毎日起こるイベントであるこの睡眠においては、自分の精神は己の意思とは関係なく不随意に、にも関わらず自分の身体の働きによって操作されます。こんなことが毎日起きているのに、何故我々は我々の心身を自分で操作しているなどと考えられようか?睡眠は私の自己同一性を脅かします。

しかもこの恐怖体験は今日明日に限った話ではなく、これからほぼ毎日繰り返されるのです。完全に拷問です。何故生まれてきてしまったのか。生とは苦では?

しかも、睡眠はかなりの高確率で目覚めを保証してくれていますが、いずれ来る死の時には、なんと人間は永遠の、無限長の時において目覚めないらしいではないですか。無限って何だよ。そして、客観的には無限の時間死んでいる僕は、当然意識どころか脳も焼かれたり腐ったりして消滅するので、主観的には(死んでいるのに主観というのも変ですが)死んだ瞬間から全く時間的な経験は無く、一切の時間が存在しない状態に放り出されることになります。時間がゼロの状態が無限に続くと言い換えてもいいでしょうか。言い換えるとは言っても、これは言葉として成立しているのでしょうか。ゼロが無限?なんなんですかそれは。やめてください。

そして、たぶん僕が死ぬときは、僕が普段寝ているときとよく似た状況、つまりベッドやら布団やらの上に寝転んで意識朦朧としているのではないかと思われるわけですが、その予想される未来の今際の時を、普段の睡眠時の僕の状況は、僕に連想させずにはいません。なので僕は寝る前にかなりの頻度で自分の死について、自分の身体によって半ば無理矢理に考えさせられます。ああ俺は死ぬときのために毎日練習させられているんだなと、悲観的な気持ちになります。なりませんか?なれ!!

 

怖い

怖いです。