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死・マンガ表現・ツイッター

死ぬの怖くないですか

 皆さん死ぬの怖かったり怖くなかったりすると思うんですけど、私は「自分がいつか必ず死ぬという事実」がもうそれこそ死ぬほど怖くて、自分が死ぬ時の光景を想像するのが止まらなくなって3ヶ月ほど不眠状態になったことがあります。

 

 ところで今私は「自分が死ぬ時の光景」と言いましたが、この言葉を聞いて皆さんどのような光景を思い浮かべますか。病院のベッドで家族に見守られていますか。事故死とか自殺とかですか。その光景とは、自分が死んでいく姿を俯瞰とか真横とかから見ているショットですか。それとも自分が見つめている病院なり空なりの、自分の視界ですか。私が不眠になった時に囚われていたのは、自分が死ぬ時に自分が見聞きしている光景、自分の死を自分の内側から見ている状態の想像でした。自分の意識、あるいはそこに現れている諸々の現象が、徐々にあるいは電気を消すようにパチンと消えて、そして消えたことを認識し覚えている私も消えて、それで、その後どうなるのか?

 こうした思考が永遠と続き、夜の闇が自分の意識の消滅を隠喩しているかのようで、夜暗くなると眠くなるどころか意識がハッキリし始めるのでした。恐怖している間は全身の皮膚が風呂に投入されたバブのように泡立っているかのような感覚があり、自分の皮膚を感じているのは皮膚ではなくてあくまで脳なんだなということを実感したときでもありました。

 我々が死ぬ際、死後の世界なるものは存在しないと仮定して、我々は生まれる前と同じ虚無に、今度は生み出されるのではなく吸い込まれていくような感じになると思うんですが、当然感じる疑問として、我々がこれまで積み重ねてきた記憶とか、あるいは自分が今死んでいくということを感じている「この私」、他の人格たちが私と同じく持っていると思われる匿名的・同質的な「私」ではなく、究極的に私的なものして言及される「ここにいて、見たり聞いたり感じたりしている、この私」はどこに行くのかというものがあると思います。どこに行くかと言えば、そもそもそんなことを問うこと事態にあまり意味はなく、お前は自分が生まれる前に何処にいたのかと訊くのかということになってしまいますし、これまで私を構成していた物質的な条件がバラバラになり、端的に言えば消滅するということなのだと思います。

 こうしたことを考える際、自分が生まれてから死ぬまでに何を為すかとか、何を遺していくかなどは、自分がこれから死んでいくということに対して何の慰めにもなりません。問題なのは自分がこの世で何かを為したとか、死ぬことで何が無駄になるのかではなく、その「生きている間に何かを為したり無駄にしたりすること」を可能にしていた条件であるところの、何物にも先立つ超越論的なものとしての「この私」が消滅してしまうのだ、ということに対する恐怖です。これは全く感情的なものです。生まれたことの意味とか喜びとかの損得は、全てそれらに先立つ条件としての「この私」の後にやってくるものであって、「この私」が消滅するということに損得勘定が介入する余地はありません。私が問題にしているものは損得勘定よりも前にあるものだからです。私は自分の財産とか家族との繋がりとか、あるいは意識とか魂を失うのが惜しいから死ぬのが怖いのではなく、ただ端的に怖いのです。おそらくこの恐怖はあらゆる概念的思考の及ばぬ領域にあり、だから私はずっと答えの出ない思考を繰り返していたので、不眠でした。

 恐怖からとりあえず今脱出できているのは、「死ぬことの恐怖から脱出するには死ぬしか無い」という、根本的には何の解決にもなっていない答えを皮肉交じりに受け入れて、思考を一旦保留することに成功したからです。もちろんこれは保留でしかなく、たぶんそのうちまたあの恐怖が私を襲うんだと思います。

 

 人間が不安を抱えたときはどうすればいいでしょう。そう、誰かに相談するのが良いですね。私も友人や家族などに死の恐怖について相談しました。死ぬのが怖いのは皆だいたい同じらしく、「分からんでもない」というような反応が返ってきますが、しかし皆が口にするのは「死ぬ時痛いのは嫌だよね」とか、「友達や家族に会えなくなるのは嫌だよね」とか、「だからこそ生きているうちに悔いの無いようにしたいよね」といったような、現世的な関心に依拠した恐怖ばかりです。そりゃそういうのも怖いですし、私も痛かったり両親が死んだりしたら泣きますけど、でも僕が怖いのはそうした諸々のことを私が怖がることができるようにしている条件である、いま何かについて意識しているところの「この私」が、永久に消滅するときがどうやらいつか来るらしい、ということであって、生きてる間に自分が死ぬ以外の何が起きようが最悪諦めがつく。もしかしたら、「この私」というのはどこまでも私的なものなので、そもそも他者に本当の意味で理解してもらうのは不可能なのかもしれません。私はガッカリしました。

 しかし、だからといって私が恐怖しているところのものを彼らに上手に説明して、首尾よく彼らに理解してもらえたとして、そうしてしまったら彼らもまた私と同じ恐怖に囚われることになるかもしれませんし、私は自分の味わっている地獄を他人にも味わってほしくないので、「うんうんそうなんだよね痛いの怖いんだよ」というように相手に「私はあなたに相談を受けてもらったよありがとう」的な感じの応対をして、結局何も変わらないまま終わります。

 

 でもやっぱり誰かに聞いてほしいので、僕とあまり関係ない匿名的なあなたに投げかけるものとして、こうして書いてみました。